句碑・歌碑
場所 (51)
人名 (49)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 ![]() | | |
五十嵐播水 句碑 | |
![]() | 初空や 帯のごとくに 離宮道 播水 昭和55年6月に建てられました。 |
一山米翁 歌碑 | |
![]() | 神撫の山のふもとの きりはれて いくとせあきぬ にしきなりけり 一山米翁 板宿の旧家・武貞米太郎作で、孫の利隆により碑が建てられました。 |
安東聖空 歌碑 | |
![]() | 瀬戸内の 嶋々をむすぶ 橋なりて よろこぶ声の 空にとどろく 昭和63年11月に建てられました。 |
露城 句碑 | |
![]() | 濃うすき もみぢはいづれ 寺の塵 露城 |
五十嵐哲也 句碑 | |
![]() | 新緑の 離宮に尖る 風のなく 哲也 平成19年2月に建てられました。 |
風月庵似雲 歌碑 | |
![]() | いつくとも誰のいひけむすまの浦 かかるところの秋のゆふ暮 似雲 鐘楼の傍に「風月庵」と碑石がありますが、その裏側をよんでみると歌が刻まれています。広島の僧・似雲は「今西行」といわれた歌人で諸国を遍歴、須磨にきて「塩かま」を再興して昔を偲びました。芭蕉が死んで53年後の1747(延享4)年のことだと言われています。 |
磯江朝子歌碑 | |
![]() | 受けし掌にも とまるがありて 桜吹雪の なかなるひとりの 燦に充ちゐる |
西月 句碑 | |
![]() | ふる雨も 清水になるや 花の奥 西月 槇屋西月は1781(天明元)年尾張生まれで、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれました。 |
白崎弘晧 歌碑 | |
![]() | 公達の 血のりを秘めて七百年 水静かなり須磨寺の池 |
青々 句碑 | |
![]() | 雨中敦盛そばへ去りし 夜客や後の月 青々 句の作者は松瀬青々。昭和44年に神戸漁火会により建てられました。 |