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源平合戦と須磨

源平合戦 イメージ画像

須磨は、源平合戦(治承・寿永の乱)における一の谷合戦の古戦場として有名な地です。

一の谷合戦といえば、源義経による奇襲作戦「坂落し(逆落し)」が有名です。しかし当時は、須磨一の谷のほかに今の兵庫区に難波一の谷という「一の谷」も存在していたという説があり、義経が須磨一の谷を下ったのか、鵯越本道を下ったのかは専門家の間でも、意見が分かれているところです。

また、「さかおとし」という言葉一つをとっても、坂を下ったという「坂落し(坂落とし)」や馬を逆さにして下ったという「逆落し(逆落とし)」など、さまざまな解釈があります。これにより、「一の谷の坂落し」「一の谷の逆落し」や「鵯越の逆落し」「鵯越の坂落し」など、さまざまな呼び方になっているようです。

このように、有名な義経の坂落し(逆落し)の作戦は諸説あって、伝説の域を出ませんが、須磨の人たちの多くは須磨一の谷こそが「坂落し」の場所であると信じています。

さて、須磨一の谷の坂の上に立ちますと、背中(北)に急傾斜の山が、正面(南)には海が、右(西)は海と山がせまり、平地が非常に狭くなっている地形が一望できます。東の防御さえ厚くしておけば・・・という平家の考えもうなずけます。

現在では、義経が通ったとされる須磨一の谷の山道は整備され、ハイカーや観光客でも歩けるハイキングコースになっていますが、当時、整備されていない状況で、騎馬70騎が一斉に下りたというなら、驚くべき話です。予想だにできない義経の奇襲攻撃「坂落し」により、それまで奮闘していた平家方が一気に崩れてしまったのも納得できます。

いずれにしても、須磨区内には、安徳帝内裏跡伝説地や敦盛塚、平重衡とらわれの松跡など、さまざまな源平合戦に関する史跡があり、「源平ゆかりの地」であることはいうまでもありません。

ここでは、「源平ゆかりの地」である、「須磨」をご案内させていただきます。

時代背景

十二世紀後半、強力な権力を握った平清盛は、1180(治承4)年6月2日に福原遷都を敢行しましたが、同年秋には東国で源義仲らの挙兵があり、11月に京都に都を返すことになりました。翌年、清盛の死、源義仲の京都進撃により、平家は都を離れ西国へ向かいました。

その後、都に入った義仲は貴族社会と対立し、後白河法皇が鎌倉の源頼朝に義仲追討を命じ、頼朝は弟の義経と範頼が義仲討伐のため京に入りました。

一方で、源氏の分裂を知った平家方は、再び都を奪い返そうと、兵庫に上陸して大手の砦を生田の森に、搦手の砦を一の谷にそれぞれ設け、神戸を拠点と定めました。

義仲を滅ぼした義経たちは、その余勢をかって、平家軍に押し寄せ、1184(寿永3)年2月7日に一の谷の戦いが行われ、平家は敗れ去りました。

源平合戦に関する史跡 

NPO法人須磨歴史倶楽部によるコラム

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