須磨観光施設協議会

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句碑・歌碑


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大井広 歌碑
大井広 歌碑明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら  広 昭和19年1月、作者の短歌の師・太田水穂の筆になる碑が建てられました。広は旧県立第一高女の教師で信州出身の国文学者です。
子規 句碑
子規 句碑読みさして 月が出るなり 須磨の巻  子規
子規 句碑
子規 句碑暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外  子規 昭和9年9月、正岡子規三十三年忌に、弟子の一人、青木月斗により建てられました。子規が明治28年7月より1ヶ月間、結核療養のため、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」に療養中に作ったものです。
子規・虚子師弟 句碑
子規・虚子師弟 句碑虚子の東帰にことづてよ 須磨の浦わに晝寝すと  子規子規50年忌月を思い 人を思ひて須磨にあり  虚子 昭和28年4月に建てられました。師弟碑というのは全国でも珍しく碑面の字はそれぞれ直筆です。
安東聖空 歌碑
安東聖空 歌碑瀬戸内の 嶋々をむすぶ 橋なりて よろこぶ声の 空にとどろく 昭和63年11月に建てられました。
宍戸忠彦歌碑
宍戸忠彦歌碑生もなく死もなく この身大君に ささけまつりて 我は征くなり  忠彦 作者の忠彦は大阪大学医学部卒業後、昭和19年10月グアム島又木山西方地区にて戦死。26歳、海軍軍医少佐でした。この辞世は出征のおり、黙って机の引き出しに入れていたものといわれています。
小河六平 句碑
小河六平 句碑海の色 幾変りして 梅雨の須磨    六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。
尾崎放哉 句碑
尾崎放哉 句碑こんなよい月を ひとりで見て寝る  放哉 自由律の俳人・尾崎放哉は、大正13年6月より9ヶ月間、無一物の生活こそ尊い真実と信じ、須磨寺太子堂の堂守として暮らしました。大正15年小豆島で死ぬまで、清貧と孤高の生活に浸りました。
山本周五郎 文学碑
山本周五郎 文学碑表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。
播水句碑
播水句碑下り佇てば 遅日の淡路 籬の上に  播水 昭和44年4月俳誌「九年母」500号記念に九年母会により、主宰者・五十嵐播水の句碑として建てられました。
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