句碑・歌碑
場所 (51)
人名 (49)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 ![]() | | |
五十嵐播水 句碑 | |
![]() | 初空や 帯のごとくに 離宮道 播水 昭和55年6月に建てられました。 |
柳汀 歌碑 | |
![]() | ○幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀 2メートルたらずの石柱の上部に丸い穴をあけて歌の始めのかわりをさせている珍しい碑です。 |
露城句碑 | |
![]() | 稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海 露城 作者の瀬川露城は姫路の人で、明治15年豊岡師範の教師をやめて実業界に入り、明治40年4月大津義仲寺無名庵第十五世となって正風会を創立しました。ひところ須磨に住んだといわれています。 |
神田松雲 句碑 | |
![]() | 花千母 むかし稚木の さくら哉 松雲 神田松雲は兵庫の旧家、神田兵右ヱ門で、明治24年荒廃していた須磨寺境内に桜の木を植えて花の名所を作ろうと考えました。時の住職・長原密浄と計り「作楽帳」という寄付帳で知人に桜一本の寄進をたのみ、遂に一千本に達し、現在の須磨寺を桜の名所にした功労者です。 |
矢村三生 句碑 | |
![]() | 山裾は 山の唇 椿濃し 俳誌「須磨千鳥」創刊650号記念行事として、平成17年9月18日に建てられました。 |
大久保些景 句碑 | |
![]() | 千木の空 澄みて厳橿 実を降らす 些景 大久保些景は本名吾一、長らく須磨警察署に勤め、「須磨中納言俳句道場」を主宰、のち「須磨千鳥」に引き継ぎました。この句は紀元2600年記念に橿原神宮へ献句したものです。 |
青畝 句碑 | |
![]() | 須磨涼し 今も昔の 文の如 青畝 昭和52年12月に建てられました。 |
海上胤平 歌碑 | |
![]() | いくたびか 立ちかえりみし 松かげに 月を寄せくる 須磨の浦なみ |
句碑・歌碑 | |
須磨は、古くから文人に愛され、数多くの歌が詠まれている風光明媚な地です。区内の随所に、句碑や歌碑が見られ、古くから現代までの須磨の様子を伝えています。そんな句碑・歌碑について、場所別に紹介します。 関守稲荷神社現光寺綱敷天満宮松風村雨堂須磨浦公園須磨寺須磨離宮公園禅昌寺 |
音楽碑 | |
![]() | 一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。小学唱歌「一の谷の戦やぶれ…」のメロディーを奏でるキーボードがあります。明治100年記念で建てられました。 |