須磨寺
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
旭叟史 句碑 | |
月すみて 松風すみて 須磨の浦 叟史 大正12年10月文楽の名人大夫摂津大掾により建てられました。 |
伊丹三樹彦 句碑 | |
くらやみになおも花散る平家琵琶甘酒にいま存命の一本箸長き夜の楽器かたまりいて鳴らずてのひらに予言の重さ寒卵僕自身日暮の沖でさびさび浮く |
磯江朝子歌碑 | |
受けし掌にも とまるがありて 桜吹雪の なかなるひとりの 燦に充ちゐる |
音楽碑 | |
一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。小学唱歌「一の谷の戦やぶれ…」のメロディーを奏でるキーボードがあります。明治100年記念で建てられました。 |
五十嵐播水 句碑 | |
香煙に 降りこむ雪や 初大師 播水 |
三好兵六 句碑 | |
夫婦とは なんと佳いもの 向い風 兵六 |
山本周五郎 文学碑 | |
表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。 |
子規 句碑 | |
暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外 子規 昭和9年9月、正岡子規三十三年忌に、弟子の一人、青木月斗により建てられました。子規が明治28年7月より1ヶ月間、結核療養のため、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」に療養中に作ったものです。 |
小河六平 句碑 | |
海の色 幾変りして 梅雨の須磨 六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。 |
真鍋豊平 歌碑 | |
ひとすじに こころこめたる ことなれば ちよのしらべも たえじとぞおもふ |