須磨寺
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
良寛『須磨紀行』碑 | |
すまでらの むかしを問えば 山桜よしやねむ すまのうらわの なみまくら 「須磨紀行」の碑であり、諸国行脚の途中に良寛が須磨寺に立ち寄ったとき、この句を残しました。 |
大井広 歌碑 | |
明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら 広 昭和19年1月、作者の短歌の師・太田水穂の筆になる碑が建てられました。広は旧県立第一高女の教師で信州出身の国文学者です。 |
五十嵐播水 句碑 | |
香煙に 降りこむ雪や 初大師 播水 |
小河六平 句碑 | |
海の色 幾変りして 梅雨の須磨 六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。 |
旭叟史 句碑 | |
月すみて 松風すみて 須磨の浦 叟史 大正12年10月文楽の名人大夫摂津大掾により建てられました。 |
白崎弘晧 歌碑 | |
公達の 血のりを秘めて七百年 水静かなり須磨寺の池 |
西月 句碑 | |
ふる雨も 清水になるや 花の奥 西月 槇屋西月は1781(天明元)年尾張生まれで、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれました。 |
磯江朝子歌碑 | |
受けし掌にも とまるがありて 桜吹雪の なかなるひとりの 燦に充ちゐる |
露城句碑 | |
稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海 露城 作者の瀬川露城は姫路の人で、明治15年豊岡師範の教師をやめて実業界に入り、明治40年4月大津義仲寺無名庵第十五世となって正風会を創立しました。ひところ須磨に住んだといわれています。 |
柳汀 歌碑 | |
○幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀 2メートルたらずの石柱の上部に丸い穴をあけて歌の始めのかわりをさせている珍しい碑です。 |