須磨寺
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
大井広 歌碑 | |
明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら 広 昭和19年1月、作者の短歌の師・太田水穂の筆になる碑が建てられました。広は旧県立第一高女の教師で信州出身の国文学者です。 |
良寛『須磨紀行』碑 | |
すまでらの むかしを問えば 山桜よしやねむ すまのうらわの なみまくら 「須磨紀行」の碑であり、諸国行脚の途中に良寛が須磨寺に立ち寄ったとき、この句を残しました。 |
陳舜臣 漢詩碑 | |
須磨寺有感龍華橋畔弔平郎 青葉笛声餘韻長 底事海風吹倒暁 吹残蘭麝断人腸源家鐵騎捲塵征 警報頻傅青葉營 記否興亡棊一局 笛聲清雅白沙平 |
真鍋豊平 歌碑 | |
ひとすじに こころこめたる ことなれば ちよのしらべも たえじとぞおもふ |
竹本旭子 句碑 | |
種蒔くや 畑暗らくして 旭影 |
山本周五郎 文学碑 | |
表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。 |
伊丹三樹彦 句碑 | |
くらやみになおも花散る平家琵琶甘酒にいま存命の一本箸長き夜の楽器かたまりいて鳴らずてのひらに予言の重さ寒卵僕自身日暮の沖でさびさび浮く |
蕪村 句碑 | |
笛の音に 波もよりくる 須磨の秋 平敦盛の「青葉の笛」にちなんで詠んだ句といわれ、源平の庭前に碑があります。この句は「蕪村句集」所収の句です。平成18年10月に蕪村の直筆を模刻して建てられました。 |
子規 句碑 | |
暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外 子規 昭和9年9月、正岡子規三十三年忌に、弟子の一人、青木月斗により建てられました。子規が明治28年7月より1ヶ月間、結核療養のため、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」に療養中に作ったものです。 |
三好兵六 句碑 | |
夫婦とは なんと佳いもの 向い風 兵六 |