観光スポット
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伝説 (28)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
福祥寺(須磨寺) | |
一般には「須磨寺」の名で知られています。淳和天皇のころ(823~833年)に漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き揚げ、会下山の北峯寺に安置していたのを、886(仁和2)年に聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が須磨の地に移したのが始まりとされています。本堂内の室町期の宮殿・仏壇や、木造の十一面観音立像など重要文化財も多く、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、さ... | |
電話番号 | 078-731-0416 |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 |
禅昌寺 | |
境内の開山堂にぶらさがるひょうたんは「スズメのお宿」として知られています。紅葉寺とも呼ばれるとおり、広い参道わきの紅葉はすばらしく、周辺の景観等の調和は古来より有名です。 境内には、江戸時代の俳人芭蕉や滝瓢水(たきひょうすい)、伊藤博文等の文学碑があり、山門は江戸時代の彫刻職人、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝えられています。 | |
住所 | 神戸市須磨区禅昌寺町2丁目5-1 |
神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸) | |
1919(大正8)年、貿易商西尾類蔵の邸宅として建てられました。 初代通天閣を設計した著名な建築家、設楽貞雄の設計によります。 当時は、主に迎賓館として利用されていました。平成21年度兵庫県指定有形文化財となりました。現在は、ウェディング&レストランとして、文化財として保存しながら活用されています。 | |
電話番号 | 078-739-7600(レストラン) |
住所 | 神戸市須磨区離宮西町2-4-1 |
神戸総合運動公園 | |
周囲の景観をうまく取り入れ、自然と一体化した大レクリエーションゾーンで、ユニバー記念競技場、ほっともっとフィールド神戸、ドーム型体育館のグリーンアリーナ神戸など多種多様な施設が整っています。陸上競技場の南側斜面の「コスモスの丘」では、10月上旬に、約10万本のコスモスの花が咲き乱れます。 | |
住所 | 神戸市須磨区緑台 |
百耕資料館 | |
板宿地区の旧家である武井家が所蔵する歴史資料・美術資料を広く一般の人々に公開し、地域文化の継承と発展に寄与するため1987(昭和62)年に設立されました。名称は、多彩な業績を残した武井伊右衛門の雅号百耕にちなんで名付けられています。「板宿の歴史」を常設展示しているほか、春秋に企画展として歴史・美術の2本立てでテーマ展示を行なっています。 | |
電話番号 | 078-733-2381 |
住所 | 神戸市須磨区板宿町2丁目2-1 育英幼稚園内 |
白川の高座岩(夫婦岩) | |
白川峠の北方の小高い峰を高御座山(たかみくらやま)といい、その頂に東西に並ぶ二つの巨石「高座の岩」があります。両方とも上が平らになっており、東の雄岩は六十畳、西の雌岩は四十畳敷きの広さだと言われています。伝説では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国を作られた時に、この岩の上で休息されたといい、神功皇后や安徳天皇・建礼門院もここから... | |
住所 | 神戸市須磨区白川 |
現光寺 | |
「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭蕉の三段切の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の碑や正岡子規の句碑があります。寺の近くに「藩架」とか「ヤグラ」という字名が残されていることより、古代の須磨の関跡だともいわれています。 | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6 |
浄福寺(頼政薬師寺) | |
浄福寺は、西須磨の旧家・前田氏の建立といわれ、源頼政が再興したことから、「頼政薬師寺」とも呼ばれています。本尊の薬師如来像は聖徳太子作と伝えられ、脇士の十二神将は尼崎藩主青山氏の寄進と伝えられています。明治時代には、学制発布後「一ノ谷小学」が設立され、頼政薬師堂を学舎としました(現在の西須磨小学校です)。阪神・淡路大震災により倒壊しまし... | |
住所 | 神戸市須磨区桜木町1丁目4-6 |
板宿八幡神社 | |
菅原道真が九州の大宰府に左遷される途中、休まれた時の跡地に、武神八幡大神と道真を鎮守神としてまつったと伝えられています。境内には、道真を慕って京都から飛んできたといわれている大きな松「飛び松」の切株が残っています。 この社から西に続く丘陵は、飛び松にちなんで「飛び松岡」あるいは「松岡」と呼ばれていました。 | |
住所 | 神戸市須磨区板宿町3丁目15-25 |
松風村雨堂 | |
平安時代、在原行平が須磨にわび住まいした際、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて愛しました。行平が都に帰った後、姉妹は、行平の住居のかたわらに庵をむすび、行平の無事を祈りました。 現在の堂は、その庵の跡だと伝えられています。 | |
住所 | 神戸市須磨区離宮前町1丁目2 |