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伝説 (28)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
一の谷 戦の濱碑 | |
一の谷は、鉄枴山と高倉山から流れ出た渓流に沿う地域です。一の谷から西一帯の海岸は、源平の戦いにおける一の谷の戦いの舞台となったことから、「戦の濱」といわれています。一の谷をさかのぼると、東西2つに分かれていますが、西の谷は、東の一ノ谷川本流に対し「赤旗の谷」といわれ、平家の赤旗で満ちた谷だと伝えられています。毎年、決戦のあった2月7日の... | |
住所 | 神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2 |
元宮長田神社 | |
以前は元宮長田神社があった場所は、須磨の旧家前田家の邸内でした。前田家と、長田区にある長田神社とは深い関係があり、 證誠神社が栄えて須磨一帯を氏子地とする中世以前、須磨が長田神社の氏子地だった頃の名残りだと思われます。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
前田家と菅の井 | |
菅原道真が左遷される道中に須磨に上陸した際、須磨の旧家・前田家から井戸の水をくんで差しあげたところ、大いに喜ばれて自画像を前田家に与えたといわれています。前田家では、その井戸を「菅の井」と名付け、この水で銘酒「菅の井」を作って毎年太宰府天満宮へ献上していたと伝えられています。また、「菅公手植えの松跡」などの史跡もあります。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
勝福寺 | |
988(永延2)年、太政大臣藤原伊尹(これただ)の三男、藤原英雄丸が勅命により、「証楽(しょうらく)上人(しょうにん)」と名を改め、高取山麓に庵を建て、鹿松峠(かのししまつとうげ)に出没していた鬼人を仏教の力で退散させた後に開いた寺といわれています。ここには、平清盛寄進と伝えられる国指定重要文化財である密教法具があります(閲覧は不可)。また、清盛の築島... | |
住所 | 神戸市須磨区大手町9丁目1-1 |
北向厄除八幡神社 | |
源平合戦のとき、那須与市宗隆がこの神社を守護神として戦場にのぞみ、武運をまっとうしました。 その後、与市はお礼のため再びこの地を訪れ参詣しましたが、たまたま病にかかり、この地で死去したという伝説があります。1921(大正10)年ごろ、境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡 |
多井畑厄除八幡宮 | |
光仁天皇の770(神護景雲4)年、畿内の国境十カ所に疫神をまつって疫神はらいを行わせたと『続日本紀』が記していますが、摂播国境のこの地もその一つです。 在原行平や源義経も祈願したといわれています。毎年1月18~20日の厄除祭は盛大で、多くの人が厄払いに訪れます。 | |
電話番号 | 078-741-0827 |
住所 | 神戸市須磨区多井畑字宮脇一番地 |
大歳神社(白川) | |
一条天皇の995(長徳元)年、この山村に疫病が大流行したので、須佐之男(すさのおの)命(みこと)を迎えて疫病退散を祈願したといわれていますが、もとは、「トシ」(古語で米を意味する)の神をまつる社です。 | |
住所 | 神戸市須磨区白川字宮ノ西 |
大歳神社(車) | |
646(大化2)年に孝徳天皇が創立したといわれ、もとは三木街道の南の地に鎮座していました。 社殿が非常に壮大であったので「大堂(おおどう)」と呼ばれていたのがなまって、今の「車(くるま)大道(おおどう)」になったといわれています。毎年1月14日の夜には、「お面式」と呼ばれる豊作願いの行事である「翁舞(おきなまい)」が演じられます。 この翁舞は、江戸時代以前... | |
住所 | 神戸市須磨区車字松ヶ原 |
奥須磨公園 | |
6つの池をめぐる自然地形をそのまま利用した公園で、小松池にはヘラブナが放流され、釣り場やザリガニ採り場などがあります。 また、トンボやバッタ、水鳥を観察することができます。静かで落ち着いた雰囲気の園内は、小川や芝生広場が充実しています。 季節ごとにさくら・あじさい・ツツジ・ツバキなどが花を咲かせ、訪れる人を楽しませます。 | |
電話番号 | 078-742-2720 公園管理事務所 |
住所 | 神戸市須磨区多井畑字池の奥上18 |
妙法寺 | |
738(天平10)年、僧行基が開基しました。 平清盛が福原遷都の際、平安京の鞍馬になぞらえ、ここを新鞍馬と称して、福原京の鎮守の地として保護したといわれています。本尊毘沙門天は、平安時代の木像で、国指定重要文化財です。毎年1月3日の午後には勇壮な踊りの追儺式が行われます。 | |
住所 | 兵庫県神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1286 |