須磨浦周辺
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
旧住友別邸門柱 | |
住友家第15代当主、住友友純が1893(明治26)年、海辺の約1300坪の土地に別荘を建て、須磨の別荘地開発の草分けとなりました。 1903(明治36)年には別荘の隣に洋館の別邸を新築しました。別邸は1945(昭和20)年の戦災で焼失し、跡地に須磨海浜公園が整備されました。 現在は、別邸の門柱のみが当時の面影を残します。 | |
住所 | 神戸市須磨区須磨浦通1丁目1 |
敦盛塚 | |
平敦盛の供養のため建てられたという大きな五輪塔。北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。敦盛は、一の谷の合戦で源氏の武将の熊谷直実に討たれ16歳で命を落としました。大正時代には、子供の病気の神様として信仰され、お礼参りには敦盛愛用の「青葉の笛」になぞら... | |
住所 | 神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4 |
平重衡とらわれの松跡 | |
源平合戦に際して、東門生田の森を守った平重衡(清盛の五男)は源氏の軍勢を防ぎきれず、西に遁走しましたが、西須磨で源範頼の家来に生け捕られてしまいました。松の根に腰をおろして無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁酒を一杯さしあげたところ、重衡は非常によろこんで、「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」と、一首を詠んだと伝えら... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町1丁目13 |
寿楼 臨水亭 | |
源平ゆかりの地に建つ、落ち着いた和の空間が魅力の旅館。ゆったりとした広さのある全室スイートタイプの客室は、池に面しており春には桜を観賞できます。中には夜景が見渡せる・家族みんなで寛げる・ペット同室宿泊OKなど、多彩なタイプの部屋も。須磨の夜空を眺めながら和風庭園露天風呂につかるひと時・・・ICからのアクセスも良く三宮観光にも便利です。 | |
電話番号 | 078-731-4351 |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町3丁目5-18 |
安徳帝内裏跡伝説地 | |
安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子を母として生まれた悲劇の幼帝です。1180(治承4)年に2歳で即位しましたが、 1185(寿永4)年、壇ノ浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼にいだかれて入水したと伝えられています。この伝説地には、一時内裏がおかれたとのいい伝えがあり、 安徳天皇の冥福を祈って安徳宮がまつられています。 江戸時代には松尾芭蕉も訪れています... | |
住所 | 神戸市須磨区一ノ谷町2丁目6 一の谷公園内 |
前田家と菅の井 | |
菅原道真が左遷される道中に須磨に上陸した際、須磨の旧家・前田家から井戸の水をくんで差しあげたところ、大いに喜ばれて自画像を前田家に与えたといわれています。前田家では、その井戸を「菅の井」と名付け、この水で銘酒「菅の井」を作って毎年太宰府天満宮へ献上していたと伝えられています。また、「菅公手植えの松跡」などの史跡もあります。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
元宮長田神社 | |
以前は元宮長田神社があった場所は、須磨の旧家前田家の邸内でした。前田家と、長田区にある長田神社とは深い関係があり、 證誠神社が栄えて須磨一帯を氏子地とする中世以前、須磨が長田神社の氏子地だった頃の名残りだと思われます。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
一の谷 戦の濱碑 | |
一の谷は、鉄枴山と高倉山から流れ出た渓流に沿う地域です。一の谷から西一帯の海岸は、源平の戦いにおける一の谷の戦いの舞台となったことから、「戦の濱」といわれています。一の谷をさかのぼると、東西2つに分かれていますが、西の谷は、東の一ノ谷川本流に対し「赤旗の谷」といわれ、平家の赤旗で満ちた谷だと伝えられています。毎年、決戦のあった2月7日の... | |
住所 | 神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2 |