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福祥寺(須磨寺)福祥寺(須磨寺)
一般には「須磨寺」の名で知られています。淳和天皇のころ(823~833年)に漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き揚げ、会下山の北峯寺に安置していたのを、886(仁和2)年に聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が須磨の地に移したのが始まりとされています。本堂内の室町期の宮殿・仏壇や、木造の十一面観音立像など重要文化財も多く、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、さ...
電話番号078-731-0416
住所神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
須磨離宮公園須磨離宮公園
1967(昭和42)年、皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して造営された本格的西洋式庭園を備えた公園です。 かつては皇室の別荘で、「武庫離宮」と呼ばれていました。最上部の展望台からは豊かな緑と眼下に広がる紺碧の海を一望できます。「王侯貴族のバラ園」や梅園、「もみじ滝」など四季の彩りが楽しめるほか、お子様に人気のアスレチックもあり、また夜間開園時...
電話番号078-732-6688
住所神戸市須磨区東須磨1丁目1
敦盛塚敦盛塚
平敦盛の供養のため建てられたという大きな五輪塔。北条貞時が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるようになったという説もあります。敦盛は、一の谷の合戦で源氏の武将の熊谷直実に討たれ16歳で命を落としました。大正時代には、子供の病気の神様として信仰され、お礼参りには敦盛愛用の「青葉の笛」になぞら...
住所神戸市須磨区一ノ谷町5丁目4
神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)
1919(大正8)年、貿易商西尾類蔵の邸宅として建てられました。 初代通天閣を設計した著名な建築家、設楽貞雄の設計によります。 当時は、主に迎賓館として利用されていました。平成21年度兵庫県指定有形文化財となりました。現在は、ウェディング&レストランとして、文化財として保存しながら活用されています。
電話番号078-739-7600(レストラン)
住所神戸市須磨区離宮西町2-4-1
妙法寺妙法寺
738(天平10)年、僧行基が開基しました。 平清盛が福原遷都の際、平安京の鞍馬になぞらえ、ここを新鞍馬と称して、福原京の鎮守の地として保護したといわれています。本尊毘沙門天は、平安時代の木像で、国指定重要文化財です。毎年1月3日の午後には勇壮な踊りの追儺式が行われます。
住所兵庫県神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1286
現光寺現光寺
「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭蕉の三段切の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の碑や正岡子規の句碑があります。寺の近くに「藩架」とか「ヤグラ」という字名が残されていることより、古代の須磨の関跡だともいわれています。
住所神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6
一の谷 戦の濱碑一の谷 戦の濱碑
一の谷は、鉄枴山と高倉山から流れ出た渓流に沿う地域です。一の谷から西一帯の海岸は、源平の戦いにおける一の谷の戦いの舞台となったことから、「戦の濱」といわれています。一の谷をさかのぼると、東西2つに分かれていますが、西の谷は、東の一ノ谷川本流に対し「赤旗の谷」といわれ、平家の赤旗で満ちた谷だと伝えられています。毎年、決戦のあった2月7日の...
住所神戸市須磨区一ノ谷町5丁目2
関守稲荷神社(須磨の関跡)関守稲荷神社(須磨の関跡)
須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝えられ、境内に百人一首で知られる源兼昌の歌碑があります。「源氏物語」で光源氏が須磨に退居して...
住所神戸市須磨区関守町1丁目3-20
安徳帝内裏跡伝説地安徳帝内裏跡伝説地
安徳天皇は、平清盛の娘の建礼門院徳子を母として生まれた悲劇の幼帝です。1180(治承4)年に2歳で即位しましたが、 1185(寿永4)年、壇ノ浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼にいだかれて入水したと伝えられています。この伝説地には、一時内裏がおかれたとのいい伝えがあり、 安徳天皇の冥福を祈って安徳宮がまつられています。 江戸時代には松尾芭蕉も訪れています...
住所神戸市須磨区一ノ谷町2丁目6 一の谷公園内
松風村雨堂松風村雨堂
平安時代、在原行平が須磨にわび住まいした際、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて愛しました。行平が都に帰った後、姉妹は、行平の住居のかたわらに庵をむすび、行平の無事を祈りました。 現在の堂は、その庵の跡だと伝えられています。
住所神戸市須磨区離宮前町1丁目2
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