歴史を知る
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
義経腰掛の松(ほんがんさん) | |
源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと伝えられています。 それからのち、村人はこの場所に社をつくり「ほんがん(判官)さん」の愛称で親しみと尊敬をこめておまつりしています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑 |
萩の寺(明光寺) | |
古くは明光寺といい、1650(慶安3)年の検地では阿弥陀堂と呼ばれ、1692(元禄5)年には伽藍も建立されました。一時は禅道場として栄えましたが、火災により衰えてしまいました。大正時代に住職が境内に十数種の萩を植え、「萩の寺」とよばれるようになりました。 9月中下旬の満開期には多くの参詣者でにぎわいます。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡775-3 |
證誠神社 | |
1506(永正3)年、紀州熊野権現を勧請して勝福寺の地主神としてまつったと伝えられています。 江戸時代には、大手、板宿、東須磨、野田、駒ケ林の総鎮守として栄え、聖霊(しょうりょう)権現(ごんげん)と呼ばれました。1871(明治4)年に祭神を五十猛(いそたけるの)命(みこと)とし、社名も今のものに改めました。一般に、「大手の権現さん」といわれています。 | |
電話番号 | 078-731-2743 (證誠神社) |
住所 | 神戸市須磨区権現町1丁目3-2 |
那須与市の墓 | |
那須与市宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与市は下野(しもつけの)国(くに)(栃木県)那須の庄の住人で、郷里の那須の庄にも墓所はありますが、須磨では晩年に与市が北向八幡宮へお礼のため参詣し、病のためこの地で死去したと伝えられています。この墓に参詣すると、年老いても「しもの世話にならない」との信仰があり、毎月7日のご命日には多くの参詣者が訪れ... | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字円満林24-8 |
那須神社 | |
1921(大正10)年ごろ、北向厄除八幡神社の境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡 |
鏡の井 | |
須磨にわび住まいした在原行平は、汐汲みに来ていた多井畑の村長の二人の娘を松風・村雨と名付け愛したとされています。 多井畑には二人が水鏡として使ったといわれている泉があり、「鏡の井」と呼ばれています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑字筋替道 |
関守稲荷神社(須磨の関跡) | |
須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝えられ、境内に百人一首で知られる源兼昌の歌碑があります。「源氏物語」で光源氏が須磨に退居して... | |
住所 | 神戸市須磨区関守町1丁目3-20 |
須磨智慧の道 | |
綱敷天満宮から須磨寺前商店街を通り、須磨寺までを結ぶ道です。 天神さんは、学問の神様の菅原道真、須磨寺は“いろは”を考案した弘法大師という「智慧」を持つ方をおまつりする社寺を結ぶことから名づけられました。毎年8月9日には「智慧の盆歌」に合わせて踊る「智慧の盆踊り」が行われています。また、須磨寺前商店街の北側にある大師広場の横に石造りの輪があ... | |
住所 | 綱敷天満宮から須磨寺 |
須磨浦公園 | |
源氏物語「須磨の帖」の舞台であり、源平の「一の谷合戦」ゆかりの地でもある広大な丘陵と松林を山林公園にしたものです。春にはさくら、ツツジ、サツキなどが咲き、夏には松林が涼やかな緑陰をつくり、秋には紅葉が見られます。数々の名歌や名句がここで詠まれ、芭蕉、蕪村等の句碑が点在しています。 | |
電話番号 | 078-795-5656 |
住所 | 神戸市須磨区一ノ谷町、神戸市須磨区西須磨 |
須磨離宮公園 | |
1967(昭和42)年、皇太子殿下(今上天皇)のご成婚を記念して造営された本格的西洋式庭園を備えた公園です。 かつては皇室の別荘で、「武庫離宮」と呼ばれていました。最上部の展望台からは豊かな緑と眼下に広がる紺碧の海を一望できます。「王侯貴族のバラ園」や梅園、「もみじ滝」など四季の彩りが楽しめるほか、お子様に人気のアスレチックもあり、また夜間開園時... | |
電話番号 | 078-732-6688 |
住所 | 神戸市須磨区東須磨1丁目1 |