観光スポット
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伝説 (28)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
村上帝社 | |
平安時代の琵琶の名人藤原師長(もろなが)は、中国に渡りなおも琵琶の奥義をきわめたいと願い、都を出て須磨まで来ました。しかし、この地に泊まった夜、琵琶の名人である村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょうご)の霊が現れ、師長に琵琶の奥義を伝えたので、師長は中国行を思いとどまり、「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰ったという伝説があります。この村上天皇にま... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨浦通4丁目8 |
松風村雨の墓 | |
須磨にわび住まいした在原行平が愛した多井畑の村長の二人の娘の墓です。多井畑厄除八幡宮の西200mの広場の一隅にある五輪塔二基で、左が姉の「もしほ」(松風)、右は妹「こふじ」(村雨)のものと伝えられています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑字東所 |
松風村雨堂 | |
平安時代、在原行平が須磨にわび住まいした際、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて愛しました。行平が都に帰った後、姉妹は、行平の住居のかたわらに庵をむすび、行平の無事を祈りました。 現在の堂は、その庵の跡だと伝えられています。 | |
住所 | 神戸市須磨区離宮前町1丁目2 |
板宿八幡神社 | |
菅原道真が九州の大宰府に左遷される途中、休まれた時の跡地に、武神八幡大神と道真を鎮守神としてまつったと伝えられています。境内には、道真を慕って京都から飛んできたといわれている大きな松「飛び松」の切株が残っています。 この社から西に続く丘陵は、飛び松にちなんで「飛び松岡」あるいは「松岡」と呼ばれていました。 | |
住所 | 神戸市須磨区板宿町3丁目15-25 |
浄福寺(頼政薬師寺) | |
浄福寺は、西須磨の旧家・前田氏の建立といわれ、源頼政が再興したことから、「頼政薬師寺」とも呼ばれています。本尊の薬師如来像は聖徳太子作と伝えられ、脇士の十二神将は尼崎藩主青山氏の寄進と伝えられています。明治時代には、学制発布後「一ノ谷小学」が設立され、頼政薬師堂を学舎としました(現在の西須磨小学校です)。阪神・淡路大震災により倒壊しまし... | |
住所 | 神戸市須磨区桜木町1丁目4-6 |
現光寺 | |
「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭蕉の三段切の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の碑や正岡子規の句碑があります。寺の近くに「藩架」とか「ヤグラ」という字名が残されていることより、古代の須磨の関跡だともいわれています。 | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6 |
白川の高座岩(夫婦岩) | |
白川峠の北方の小高い峰を高御座山(たかみくらやま)といい、その頂に東西に並ぶ二つの巨石「高座の岩」があります。両方とも上が平らになっており、東の雄岩は六十畳、西の雌岩は四十畳敷きの広さだと言われています。伝説では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国を作られた時に、この岩の上で休息されたといい、神功皇后や安徳天皇・建礼門院もここから... | |
住所 | 神戸市須磨区白川 |
百耕資料館 | |
板宿地区の旧家である武井家が所蔵する歴史資料・美術資料を広く一般の人々に公開し、地域文化の継承と発展に寄与するため1987(昭和62)年に設立されました。名称は、多彩な業績を残した武井伊右衛門の雅号百耕にちなんで名付けられています。「板宿の歴史」を常設展示しているほか、春秋に企画展として歴史・美術の2本立てでテーマ展示を行なっています。 | |
電話番号 | 078-733-2381 |
住所 | 神戸市須磨区板宿町2丁目2-1 育英幼稚園内 |
神戸総合運動公園 | |
周囲の景観をうまく取り入れ、自然と一体化した大レクリエーションゾーンで、ユニバー記念競技場、ほっともっとフィールド神戸、ドーム型体育館のグリーンアリーナ神戸など多種多様な施設が整っています。陸上競技場の南側斜面の「コスモスの丘」では、10月上旬に、約10万本のコスモスの花が咲き乱れます。 | |
住所 | 神戸市須磨区緑台 |
神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸) | |
1919(大正8)年、貿易商西尾類蔵の邸宅として建てられました。 初代通天閣を設計した著名な建築家、設楽貞雄の設計によります。 当時は、主に迎賓館として利用されていました。平成21年度兵庫県指定有形文化財となりました。現在は、ウェディング&レストランとして、文化財として保存しながら活用されています。 | |
電話番号 | 078-739-7600(レストラン) |
住所 | 神戸市須磨区離宮西町2-4-1 |