須磨の地名の由来

現在の須磨区の南西端は、鉢伏山が須磨の海にもっとも近づいており、山と海の間には、JR、山陽電鉄の鉄道線路と国道2号があるだけです。

この場所は現在、平地となっていますが、奈良時代までは、海岸線が非常に入りくんだ地形だったといわれており、畿内の平地の「すみ」というところから、「すみ」がなまって「すま」になったといわれています。

他にも諏訪(すわ)神社の「すわ」がなまって「すま」になったなどの説もあります。

須磨区内の町名の由来

須磨には、さまざまな伝説にまつわる町名が残されています。町名の由来の一部をご紹介します。※あくまでひとつの説です。

青葉町(あおばちょう)

平敦盛の愛用と伝えられる須磨寺寺宝の「青葉の笛」にちなむ町名。

ただし、「平家物語」では敦盛の笛は「小枝ノ笛」と記されています。

磯馴町(いそなれちょう)

近世須磨の浜にあった美しい浜辺の松・磯馴松(そなれまつ)が由来。

この松は古くから和歌に歌われ、都に帰った行平をしのんで枝が東になびいていると伝えられていました。

板宿町(いたやどちょう)

大宰府に左遷される菅原道真のために、里人が板囲いの宿を建ててもてなしたので、板宿の地名がついたといわれています。

一ノ谷町(いちのたにちょう)

寿永年間に平家軍が拠った一ノ谷が有名になり、現在の町名になっています。

鉢伏山南麓の幾筋かの谷を東から一ノ谷、二ノ谷、三ノ谷とよんでいます。

稲葉町(いなばちょう)

東須磨村の背山にあった字名「稲葉山」が由来。

須磨にわび住まいした在原行平がここで秋の月を楽しんだことから、月見山ともよばれています。

大手町(おおてちょう)

勝福寺とその背山にあった南北朝時代の松岡城の正面に成立した村・大手の名が由来。

衣掛町(きぬがけちょう)

須磨に隠棲していた行平が都に帰ることになった際、松風・村雨に対し、かたみとして冠と衣を行平邸の松の枝に掛けていったといわれ、この衣掛の松にちなむ町名。

車(くるま)

水車が多かったとも、栗の多い地(クリ・マ)だとも、山間の地(クラ・マ)からきているともいわれています。

14世紀の古文書に車造畑との記録があります。

権現町(ごんげんちょう)

町内にある、紀州熊野権現を勧請されたものだと伝えられる證誠神社が、「大手の権現さん」と呼ばれていることが由来。

桜木町・若木町(さくらぎちょう・わかぎちょう)

「源氏物語」で光源氏が植えたと記されている須磨寺の「若木ノ桜」が由来。

白川・白川台(しらかわ・しらかわだい)

凝灰岩を地盤とするこの一帯は、雨が降ると白濁した川となったことにちなむ町名。

神撫町(じんぶちょう)

高取山の古名・神撫山(かんなでやま)を音読みしてつけられた町名。

須磨寺町(すまでらちょう)

須磨寺、つまり上野山福祥寺周辺についた町名。

関守町(せきもりちょう)

須磨の関跡だと伝えられる関守稲荷にちなんだ町名。

禅昌寺町(ぜんしょうじちょう)

高取山西麓にある神撫山禅昌寺による町名。

多井畑(たいのはた)

多井畑は、田の開けた山間の村の意味で、平家物語にみられることから平安時代からの村名。

月見山町(つきみやまちょう)

在原行平が隠棲のときに、秋の月を眺めた山だと伝説する月見山にちなむ町名。

天神町(てんじんちょう)

須磨の天神様、綱敷天満宮から名付けられました。

大宰府へ左遷される途中、この地へ寄った菅原道真を土地の人々が、綱を巻いて地面に敷いてもてなしたことが「綱敷」の由来であり、後に道真が天満天神として祀られるようになり「綱敷き天満宮」とされました。

飛松町(とびまつちょう)

板宿八幡神社にある菅公の飛松の伝説にちなんだ町名。

松風町・村雨町(まつかぜちょう・むらさめちょう)

須磨に隠棲した在原行平に愛された土地の姉妹、松風・村雨の名から命名されました。

行幸町(みゆきちょう)

南から武庫離宮への道沿いに離宮への天皇の行幸にちなんで名付けられた町名。

明神町(みょうじんちょう)

天日霊女命を祀る鳴滝明神があったことにちなむ町名。

妙法寺(みょうほうじ)

如意山妙法寺にちなむ町名。村は、寺を中心として周辺に発達しました。

行平町(ゆきひらちょう)

須磨に隠棲したといわれる在原行平の名にちなむ町名。