須磨寺
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音楽碑 | |
一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。小学唱歌「一の谷の戦やぶれ…」のメロディーを奏でるキーボードがあります。明治100年記念で建てられました。 |
神田松雲 句碑 | |
花千母 むかし稚木の さくら哉 松雲 神田松雲は兵庫の旧家、神田兵右ヱ門で、明治24年荒廃していた須磨寺境内に桜の木を植えて花の名所を作ろうと考えました。時の住職・長原密浄と計り「作楽帳」という寄付帳で知人に桜一本の寄進をたのみ、遂に一千本に達し、現在の須磨寺を桜の名所にした功労者です。 |
柳汀 歌碑 | |
○幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀 2メートルたらずの石柱の上部に丸い穴をあけて歌の始めのかわりをさせている珍しい碑です。 |
露城句碑 | |
稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海 露城 作者の瀬川露城は姫路の人で、明治15年豊岡師範の教師をやめて実業界に入り、明治40年4月大津義仲寺無名庵第十五世となって正風会を創立しました。ひところ須磨に住んだといわれています。 |
磯江朝子歌碑 | |
受けし掌にも とまるがありて 桜吹雪の なかなるひとりの 燦に充ちゐる |
西月 句碑 | |
ふる雨も 清水になるや 花の奥 西月 槇屋西月は1781(天明元)年尾張生まれで、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれました。 |
白崎弘晧 歌碑 | |
公達の 血のりを秘めて七百年 水静かなり須磨寺の池 |
旭叟史 句碑 | |
月すみて 松風すみて 須磨の浦 叟史 大正12年10月文楽の名人大夫摂津大掾により建てられました。 |
小河六平 句碑 | |
海の色 幾変りして 梅雨の須磨 六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。 |
五十嵐播水 句碑 | |
香煙に 降りこむ雪や 初大師 播水 |