須磨観光施設協議会

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須磨寺

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露城句碑
露城句碑稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海  露城 作者の瀬川露城は姫路の人で、明治15年豊岡師範の教師をやめて実業界に入り、明治40年4月大津義仲寺無名庵第十五世となって正風会を創立しました。ひところ須磨に住んだといわれています。
良寛『須磨紀行』碑
良寛『須磨紀行』碑すまでらの むかしを問えば 山桜よしやねむ すまのうらわの なみまくら 「須磨紀行」の碑であり、諸国行脚の途中に良寛が須磨寺に立ち寄ったとき、この句を残しました。
柳汀 歌碑
柳汀 歌碑○幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀 2メートルたらずの石柱の上部に丸い穴をあけて歌の始めのかわりをさせている珍しい碑です。
蕪村 句碑
蕪村 句碑笛の音に 波もよりくる 須磨の秋 平敦盛の「青葉の笛」にちなんで詠んだ句といわれ、源平の庭前に碑があります。この句は「蕪村句集」所収の句です。平成18年10月に蕪村の直筆を模刻して建てられました。
尾崎放哉 句碑
尾崎放哉 句碑こんなよい月を ひとりで見て寝る  放哉 自由律の俳人・尾崎放哉は、大正13年6月より9ヶ月間、無一物の生活こそ尊い真実と信じ、須磨寺太子堂の堂守として暮らしました。大正15年小豆島で死ぬまで、清貧と孤高の生活に浸りました。
白崎弘晧 歌碑
白崎弘晧 歌碑公達の 血のりを秘めて七百年 水静かなり須磨寺の池
芭蕉 句碑
芭蕉 句碑須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇  芭蕉 1688年4月、松尾芭蕉が源平古戦場を訪ねて、平敦盛を偲んで詠んだ句です。昭和43年6月佐野千遊が建て、字を橋間石が書いています。
陳舜臣 漢詩碑
陳舜臣 漢詩碑須磨寺有感龍華橋畔弔平郎 青葉笛声餘韻長 底事海風吹倒暁 吹残蘭麝断人腸源家鐵騎捲塵征 警報頻傅青葉營 記否興亡棊一局 笛聲清雅白沙平
竹本旭子 句碑
竹本旭子 句碑種蒔くや 畑暗らくして  旭影
大井広 歌碑
大井広 歌碑明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら  広 昭和19年1月、作者の短歌の師・太田水穂の筆になる碑が建てられました。広は旧県立第一高女の教師で信州出身の国文学者です。
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