生もなく死もなく この身大君に ささけまつりて 我は征くなり 忠彦
作者の忠彦は大阪大学医学部卒業後、昭和19年10月グアム島又木山西方地区にて戦死。26歳、海軍軍医少佐でした。この辞世は出征のおり、黙って机の引き出しに入れていたものといわれています。