神田松雲 句碑

花千母 むかし稚木の さくら哉  松雲

 

神田松雲は兵庫の旧家、神田兵右ヱ門で、明治24年荒廃していた須磨寺境内に桜の木を植えて花の名所を作ろうと考えました。時の住職・長原密浄と計り「作楽帳」という寄付帳で知人に桜一本の寄進をたのみ、遂に一千本に達し、現在の須磨寺を桜の名所にした功労者です。

神田松雲 句碑
神田松雲 句碑