須磨観光施設協議会

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句碑・歌碑


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旭叟史 句碑
旭叟史 句碑月すみて 松風すみて 須磨の浦  叟史 大正12年10月文楽の名人大夫摂津大掾により建てられました。
播水句碑
播水句碑下り佇てば 遅日の淡路 籬の上に  播水 昭和44年4月俳誌「九年母」500号記念に九年母会により、主宰者・五十嵐播水の句碑として建てられました。
山本周五郎 文学碑
山本周五郎 文学碑表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。
尾崎放哉 句碑
尾崎放哉 句碑こんなよい月を ひとりで見て寝る  放哉 自由律の俳人・尾崎放哉は、大正13年6月より9ヶ月間、無一物の生活こそ尊い真実と信じ、須磨寺太子堂の堂守として暮らしました。大正15年小豆島で死ぬまで、清貧と孤高の生活に浸りました。
小河六平 句碑
小河六平 句碑海の色 幾変りして 梅雨の須磨    六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。
宍戸忠彦歌碑
宍戸忠彦歌碑生もなく死もなく この身大君に ささけまつりて 我は征くなり  忠彦 作者の忠彦は大阪大学医学部卒業後、昭和19年10月グアム島又木山西方地区にて戦死。26歳、海軍軍医少佐でした。この辞世は出征のおり、黙って机の引き出しに入れていたものといわれています。
安東聖空 歌碑
安東聖空 歌碑瀬戸内の 嶋々をむすぶ 橋なりて よろこぶ声の 空にとどろく 昭和63年11月に建てられました。
子規・虚子師弟 句碑
子規・虚子師弟 句碑虚子の東帰にことづてよ 須磨の浦わに晝寝すと  子規子規50年忌月を思い 人を思ひて須磨にあり  虚子 昭和28年4月に建てられました。師弟碑というのは全国でも珍しく碑面の字はそれぞれ直筆です。
子規 句碑
子規 句碑読みさして 月が出るなり 須磨の巻  子規
子規 句碑
子規 句碑暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外  子規 昭和9年9月、正岡子規三十三年忌に、弟子の一人、青木月斗により建てられました。子規が明治28年7月より1ヶ月間、結核療養のため、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」に療養中に作ったものです。
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