句碑・歌碑
場所 (51)
人名 (49)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
藤原俊成 歌碑 | |
聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな 俊成 |
藤原定家 歌碑 | |
桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 定家 |
西月 句碑 | |
ふる雨も 清水になるや 花の奥 西月 槇屋西月は1781(天明元)年尾張生まれで、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれました。 |
陳舜臣 漢詩碑 | |
須磨寺有感龍華橋畔弔平郎 青葉笛声餘韻長 底事海風吹倒暁 吹残蘭麝断人腸源家鐵騎捲塵征 警報頻傅青葉營 記否興亡棊一局 笛聲清雅白沙平 |
雀の子 歌碑 | |
雀の子 ひとつ踏んでは 親をみる |
露城 句碑 | |
濃うすき もみぢはいづれ 寺の塵 露城 |
露城句碑 | |
稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海 露城 作者の瀬川露城は姫路の人で、明治15年豊岡師範の教師をやめて実業界に入り、明治40年4月大津義仲寺無名庵第十五世となって正風会を創立しました。ひところ須磨に住んだといわれています。 |
青々 句碑 | |
雨中敦盛そばへ去りし 夜客や後の月 青々 句の作者は松瀬青々。昭和44年に神戸漁火会により建てられました。 |
青畝 句碑 | |
須磨涼し 今も昔の 文の如 青畝 昭和52年12月に建てられました。 |
音楽碑 | |
一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。小学唱歌「一の谷の戦やぶれ…」のメロディーを奏でるキーボードがあります。明治100年記念で建てられました。 |