句碑・歌碑
場所 (51)
人名 (49)
並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 ![]() | | |
芭蕉 句碑 | |
![]() | 見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋 芭蕉 1678(延宝6)年、松尾芭蕉35才の作です。世に三段切りの名句といわれています。 |
草野藤次 歌碑 | |
![]() | 須磨のうら 波の音あはれ吹きたへし 青葉の笛の昔おもへば 藤次 |
山本周五郎 文学碑 | |
![]() | 表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。 |
播水句碑 | |
![]() | 下り佇てば 遅日の淡路 籬の上に 播水 昭和44年4月俳誌「九年母」500号記念に九年母会により、主宰者・五十嵐播水の句碑として建てられました。 |
芭蕉 句碑 | |
![]() | 友まつと 見えず紅葉に ひとりかな 芭蕉 |
宍戸忠彦歌碑 | |
![]() | 生もなく死もなく この身大君に ささけまつりて 我は征くなり 忠彦 作者の忠彦は大阪大学医学部卒業後、昭和19年10月グアム島又木山西方地区にて戦死。26歳、海軍軍医少佐でした。この辞世は出征のおり、黙って机の引き出しに入れていたものといわれています。 |
藤原定家 歌碑 | |
![]() | 桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 定家 |
藤原俊成 歌碑 | |
![]() | 聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな 俊成 |
源兼昌 歌碑 | |
![]() | あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり 兼昌 平安時代末期の歌人・源兼昌が詠んだ、有名な百人一首の中の歌です。 |
真鍋豊平 歌碑 | |
![]() | ひとすじに こころこめたる ことなれば ちよのしらべも たえじとぞおもふ |