須磨観光施設協議会

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句碑・歌碑


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音楽碑
音楽碑一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。小学唱歌「一の谷の戦やぶれ…」のメロディーを奏でるキーボードがあります。明治100年記念で建てられました。
五十嵐播水 句碑
五十嵐播水 句碑香煙に 降りこむ雪や 初大師  播水
三好兵六 句碑
三好兵六 句碑夫婦とは なんと佳いもの 向い風  兵六
山本周五郎 文学碑
山本周五郎 文学碑表「須磨は秋であった」(処女作『須磨寺附近』から)裏「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために」 「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪・山本周五郎は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごしました。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋に発表し、デビューしました。
子規 句碑
子規 句碑暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外  子規 昭和9年9月、正岡子規三十三年忌に、弟子の一人、青木月斗により建てられました。子規が明治28年7月より1ヶ月間、結核療養のため、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」に療養中に作ったものです。
小河六平 句碑
小河六平 句碑海の色 幾変りして 梅雨の須磨    六平 作者・小河六平は西須磨に生まれ、俳誌「須磨千鳥」を創刊し、地方俳壇の育成に力をつくしました。
真鍋豊平 歌碑
真鍋豊平 歌碑ひとすじに こころこめたる ことなれば ちよのしらべも たえじとぞおもふ
神田松雲 句碑
神田松雲 句碑花千母 むかし稚木の さくら哉  松雲 神田松雲は兵庫の旧家、神田兵右ヱ門で、明治24年荒廃していた須磨寺境内に桜の木を植えて花の名所を作ろうと考えました。時の住職・長原密浄と計り「作楽帳」という寄付帳で知人に桜一本の寄進をたのみ、遂に一千本に達し、現在の須磨寺を桜の名所にした功労者です。
西月 句碑
西月 句碑ふる雨も 清水になるや 花の奥  西月 槇屋西月は1781(天明元)年尾張生まれで、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれました。
大井広 歌碑
大井広 歌碑明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海はら  広 昭和19年1月、作者の短歌の師・太田水穂の筆になる碑が建てられました。広は旧県立第一高女の教師で信州出身の国文学者です。
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