須磨浦周辺
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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 ![]() | | |
![]() | 浄福寺(頼政薬師寺) |
浄福寺は、西須磨の旧家・前田氏の建立といわれ、源頼政が再興したことから、「頼政薬師寺」とも呼ばれています。本尊の薬師如来像は聖徳太子作と伝えられ、脇士の十二神将は尼崎藩主青山氏の寄進と伝えられています。明治時代には、学制発布後「一ノ谷小学」が設立され、頼政薬師堂を学舎としました(現在の西須磨小学校です)。阪神・淡路大震災により倒壊しまし... | |
住所 | 神戸市須磨区桜木町1丁目4-6 |
![]() | 元宮長田神社 |
以前は元宮長田神社があった場所は、須磨の旧家前田家の邸内でした。前田家と、長田区にある長田神社とは深い関係があり、 證誠神社が栄えて須磨一帯を氏子地とする中世以前、須磨が長田神社の氏子地だった頃の名残りだと思われます。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
![]() | 村上帝社 |
平安時代の琵琶の名人藤原師長(もろなが)は、中国に渡りなおも琵琶の奥義をきわめたいと願い、都を出て須磨まで来ました。しかし、この地に泊まった夜、琵琶の名人である村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょうご)の霊が現れ、師長に琵琶の奥義を伝えたので、師長は中国行を思いとどまり、「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰ったという伝説があります。この村上天皇にま... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨浦通4丁目8 |
![]() | 鯖大師 |
一ノ谷町2丁目にあった貞照寺の本尊、弘法大師木像は右手に鯖を一尾さげているので俗に鯖大師の名で呼ばれています。修行途上の弘法大師が、塩鯖を運んでいた馬子にそれを一尾所望しましたが、馬子が断ったところ、急に馬が腹痛を起こしました。大師がお加持して水を飲ませるとたちどころに治ったので、馬子は深く感謝し、その後庵を建て、鯖を持った弘法大師を祀... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8 須磨寺内 |
須磨海浜水族園 | |
リニューアル中です。 | |
電話番号 | 078-731-7301 |
住所 | 神戸市須磨区若宮町1丁目3-5 |
![]() | 前田家と菅の井 |
菅原道真が左遷される道中に須磨に上陸した際、須磨の旧家・前田家から井戸の水をくんで差しあげたところ、大いに喜ばれて自画像を前田家に与えたといわれています。前田家では、その井戸を「菅の井」と名付け、この水で銘酒「菅の井」を作って毎年太宰府天満宮へ献上していたと伝えられています。また、「菅公手植えの松跡」などの史跡もあります。 | |
住所 | 神戸市須磨区天神町5丁目2 |
![]() | 須磨智慧の道 |
綱敷天満宮から須磨寺前商店街を通り、須磨寺までを結ぶ道です。 天神さんは、学問の神様の菅原道真、須磨寺は“いろは”を考案した弘法大師という「智慧」を持つ方をおまつりする社寺を結ぶことから名づけられました。毎年8月9日には「智慧の盆歌」に合わせて踊る「智慧の盆踊り」が行われています。また、須磨寺前商店街の北側にある大師広場の横に石造りの輪があ... | |
住所 | 綱敷天満宮から須磨寺 |
![]() | 須磨ヨットハーバー |
須磨海浜公園に隣接したヨットハーバーです。 大小さまざまなヨットやモーターボートが並び、管理棟の展望デッキからは、須磨海岸、淡路島、明石海峡大橋などの美しい景観を楽しむことができます。 | |
電話番号 | 078-735-7968 |
住所 | 神戸市須磨区若宮町1丁目1-4 |
![]() | 須磨霊泉 |
須磨寺門前の北東角に湧いている地下水は「須磨霊泉」と呼ばれて親しまれており、須磨寺町にある堂谷池周辺から湧いているといわれています。「須磨霊泉」の左側には石碑が建っており、そこには1924(大正13)年建立とあります。1938(昭和13)年の阪神大水害や1995(平成7)年の阪神・淡路大震災の時には、貴重な水源となり、多くの被災者を救ったところから、地元では「... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町3丁目1-18 |
![]() | 平重衡とらわれの松跡 |
源平合戦に際して、東門生田の森を守った平重衡(清盛の五男)は源氏の軍勢を防ぎきれず、西に遁走しましたが、西須磨で源範頼の家来に生け捕られてしまいました。松の根に腰をおろして無念の涙を流す重衡を見て、村人が濁酒を一杯さしあげたところ、重衡は非常によろこんで、「ささほろや波ここもとを打ちすぎて須磨でのむこそ濁酒なれ」と、一首を詠んだと伝えら... | |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町1丁目13 |