源平合戦のとき、那須与市宗隆がこの神社を守護神として戦場にのぞみ、武運をまっとうしました。 その後、与市はお礼のため再びこの地を訪れ参詣しましたが、たまたま病にかかり、この地で死去したという伝説があります。1921(大正10)年ごろ、境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。