須磨観光施設協議会

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須磨浦周辺

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須磨ヨットハーバー須磨ヨットハーバー
須磨海浜公園に隣接したヨットハーバーです。 大小さまざまなヨットやモーターボートが並び、管理棟の展望デッキからは、須磨海岸、淡路島、明石海峡大橋などの美しい景観を楽しむことができます。
電話番号078-735-7968
住所神戸市須磨区若宮町1丁目1-4
関守稲荷神社(須磨の関跡)関守稲荷神社(須磨の関跡)
須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝えられ、境内に百人一首で知られる源兼昌の歌碑があります。「源氏物語」で光源氏が須磨に退居して...
住所神戸市須磨区関守町1丁目3-20
綱敷天満宮綱敷天満宮
菅原道真が九州の大宰府に左遷された際、風波をさけて須磨へ一時上陸しました。 土地の漁師たちは美しい松の樹の下に漁網の大綱を巻いて円座を作り、その上に休息させました。後に道真が天満天神としてまつられるようになった時、これにちなんでここに天満宮が創建されたと伝えられています。毎年2月25日の梅花祭や7月25日の例祭には、多くの人が訪れます。
電話番号078-734-0640
住所神戸市須磨区天神町2丁目1-11
福祥寺(須磨寺)福祥寺(須磨寺)
一般には「須磨寺」の名で知られています。淳和天皇のころ(823~833年)に漁師が和田岬の沖で聖観音像を引き揚げ、会下山の北峯寺に安置していたのを、886(仁和2)年に聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が須磨の地に移したのが始まりとされています。本堂内の室町期の宮殿・仏壇や、木造の十一面観音立像など重要文化財も多く、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、さ...
電話番号078-731-0416
住所神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)神戸迎賓館 西尾家住宅(旧西尾類蔵邸)
1919(大正8)年、貿易商西尾類蔵の邸宅として建てられました。 初代通天閣を設計した著名な建築家、設楽貞雄の設計によります。 当時は、主に迎賓館として利用されていました。平成21年度兵庫県指定有形文化財となりました。現在は、ウェディング&レストランとして、文化財として保存しながら活用されています。
電話番号078-739-7600(レストラン)
住所神戸市須磨区離宮西町2-4-1
現光寺現光寺
「源氏物語」の主人公光源氏の住居跡と伝えられ、もとは「源氏寺」ともいわれていました。境内には松尾芭蕉の三段切の名句「見渡せば 眺むれば見れば 須磨の秋」の碑や正岡子規の句碑があります。寺の近くに「藩架」とか「ヤグラ」という字名が残されていることより、古代の須磨の関跡だともいわれています。
住所神戸市須磨区須磨寺町1丁目1-6
浄福寺(頼政薬師寺)浄福寺(頼政薬師寺)
浄福寺は、西須磨の旧家・前田氏の建立といわれ、源頼政が再興したことから、「頼政薬師寺」とも呼ばれています。本尊の薬師如来像は聖徳太子作と伝えられ、脇士の十二神将は尼崎藩主青山氏の寄進と伝えられています。明治時代には、学制発布後「一ノ谷小学」が設立され、頼政薬師堂を学舎としました(現在の西須磨小学校です)。阪神・淡路大震災により倒壊しまし...
住所神戸市須磨区桜木町1丁目4-6
松風村雨堂松風村雨堂
平安時代、在原行平が須磨にわび住まいした際、多井畑の村長の娘「もしほ」と「こふじ」に出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて愛しました。行平が都に帰った後、姉妹は、行平の住居のかたわらに庵をむすび、行平の無事を祈りました。 現在の堂は、その庵の跡だと伝えられています。
住所神戸市須磨区離宮前町1丁目2
村上帝社村上帝社
平安時代の琵琶の名人藤原師長(もろなが)は、中国に渡りなおも琵琶の奥義をきわめたいと願い、都を出て須磨まで来ました。しかし、この地に泊まった夜、琵琶の名人である村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょうご)の霊が現れ、師長に琵琶の奥義を伝えたので、師長は中国行を思いとどまり、「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰ったという伝説があります。この村上天皇にま...
住所神戸市須磨区須磨浦通4丁目8
旧和田岬灯台旧和田岬灯台
1884(明治17)年に、それまでの木造灯台を鉄骨に改築したものです。 明治期の鉄骨灯台としては、現存する最古の灯台です。もとは和田岬(兵庫区)にあったものですが、1963(昭和38)年に廃灯になったあと、永久保存するため、翌年、現在の須磨海浜公園の西端に移設され、“赤灯台”と呼ばれています。
住所神戸市須磨区須磨浦通1丁目1
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