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並び替え | | | タイトル | | | 日時 | | | ヒット数 | | |
須磨ヨットハーバー | |
須磨海浜公園に隣接したヨットハーバーです。 大小さまざまなヨットやモーターボートが並び、管理棟の展望デッキからは、須磨海岸、淡路島、明石海峡大橋などの美しい景観を楽しむことができます。 | |
電話番号 | 078-735-7968 |
住所 | 神戸市須磨区若宮町1丁目1-4 |
須磨アルプス(馬の背) | |
鉢伏山から旗振山、鉄枴(てっかい)山、高倉山、栂尾(とがお)山、横尾山にいたる山筋は、古くから「須磨アルプス」といわれています。 ウバメガシの群生林の続く中、栂尾山を過ぎ横尾山を東に行くと山肌が露出した急な岩場が見えてきます。 ここがハイキング愛好家によく知られている「馬の背」(「神戸槍」)です。 | |
住所 | 神戸市須磨区東須磨 |
関守稲荷神社(須磨の関跡) | |
須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝えられ、境内に百人一首で知られる源兼昌の歌碑があります。「源氏物語」で光源氏が須磨に退居して... | |
住所 | 神戸市須磨区関守町1丁目3-20 |
鏡の井 | |
須磨にわび住まいした在原行平は、汐汲みに来ていた多井畑の村長の二人の娘を松風・村雨と名付け愛したとされています。 多井畑には二人が水鏡として使ったといわれている泉があり、「鏡の井」と呼ばれています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑字筋替道 |
那須神社 | |
1921(大正10)年ごろ、北向厄除八幡神社の境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡 |
那須与市の墓 | |
那須与市宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与市は下野(しもつけの)国(くに)(栃木県)那須の庄の住人で、郷里の那須の庄にも墓所はありますが、須磨では晩年に与市が北向八幡宮へお礼のため参詣し、病のためこの地で死去したと伝えられています。この墓に参詣すると、年老いても「しもの世話にならない」との信仰があり、毎月7日のご命日には多くの参詣者が訪れ... | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字円満林24-8 |
證誠神社 | |
1506(永正3)年、紀州熊野権現を勧請して勝福寺の地主神としてまつったと伝えられています。 江戸時代には、大手、板宿、東須磨、野田、駒ケ林の総鎮守として栄え、聖霊(しょうりょう)権現(ごんげん)と呼ばれました。1871(明治4)年に祭神を五十猛(いそたけるの)命(みこと)とし、社名も今のものに改めました。一般に、「大手の権現さん」といわれています。 | |
電話番号 | 078-731-2743 (證誠神社) |
住所 | 神戸市須磨区権現町1丁目3-2 |
萩の寺(明光寺) | |
古くは明光寺といい、1650(慶安3)年の検地では阿弥陀堂と呼ばれ、1692(元禄5)年には伽藍も建立されました。一時は禅道場として栄えましたが、火災により衰えてしまいました。大正時代に住職が境内に十数種の萩を植え、「萩の寺」とよばれるようになりました。 9月中下旬の満開期には多くの参詣者でにぎわいます。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡775-3 |
義経腰掛の松(ほんがんさん) | |
源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと伝えられています。 それからのち、村人はこの場所に社をつくり「ほんがん(判官)さん」の愛称で親しみと尊敬をこめておまつりしています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑 |
綱敷天満宮 | |
菅原道真が九州の大宰府に左遷された際、風波をさけて須磨へ一時上陸しました。 土地の漁師たちは美しい松の樹の下に漁網の大綱を巻いて円座を作り、その上に休息させました。後に道真が天満天神としてまつられるようになった時、これにちなんでここに天満宮が創建されたと伝えられています。毎年2月25日の梅花祭や7月25日の例祭には、多くの人が訪れます。 | |
電話番号 | 078-734-0640 |
住所 | 神戸市須磨区天神町2丁目1-11 |