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那須与市の墓 | |
那須与市宗隆は、屋島で扇の的を射た若武者です。与市は下野(しもつけの)国(くに)(栃木県)那須の庄の住人で、郷里の那須の庄にも墓所はありますが、須磨では晩年に与市が北向八幡宮へお礼のため参詣し、病のためこの地で死去したと伝えられています。この墓に参詣すると、年老いても「しもの世話にならない」との信仰があり、毎月7日のご命日には多くの参詣者が訪れ... | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字円満林24-8 |
禅昌寺 | |
境内の開山堂にぶらさがるひょうたんは「スズメのお宿」として知られています。紅葉寺とも呼ばれるとおり、広い参道わきの紅葉はすばらしく、周辺の景観等の調和は古来より有名です。 境内には、江戸時代の俳人芭蕉や滝瓢水(たきひょうすい)、伊藤博文等の文学碑があり、山門は江戸時代の彫刻職人、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝えられています。 | |
住所 | 神戸市須磨区禅昌寺町2丁目5-1 |
板宿八幡神社 | |
菅原道真が九州の大宰府に左遷される途中、休まれた時の跡地に、武神八幡大神と道真を鎮守神としてまつったと伝えられています。境内には、道真を慕って京都から飛んできたといわれている大きな松「飛び松」の切株が残っています。 この社から西に続く丘陵は、飛び松にちなんで「飛び松岡」あるいは「松岡」と呼ばれていました。 | |
住所 | 神戸市須磨区板宿町3丁目15-25 |
須磨アルプス(馬の背) | |
鉢伏山から旗振山、鉄枴(てっかい)山、高倉山、栂尾(とがお)山、横尾山にいたる山筋は、古くから「須磨アルプス」といわれています。 ウバメガシの群生林の続く中、栂尾山を過ぎ横尾山を東に行くと山肌が露出した急な岩場が見えてきます。 ここがハイキング愛好家によく知られている「馬の背」(「神戸槍」)です。 | |
住所 | 神戸市須磨区東須磨 |
白川の高座岩(夫婦岩) | |
白川峠の北方の小高い峰を高御座山(たかみくらやま)といい、その頂に東西に並ぶ二つの巨石「高座の岩」があります。両方とも上が平らになっており、東の雄岩は六十畳、西の雌岩は四十畳敷きの広さだと言われています。伝説では、イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本の国を作られた時に、この岩の上で休息されたといい、神功皇后や安徳天皇・建礼門院もここから... | |
住所 | 神戸市須磨区白川 |
義経腰掛の松(ほんがんさん) | |
源義経一行が多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願したおり、この松の木の下で休息をとった後、一の谷に向かったと伝えられています。 それからのち、村人はこの場所に社をつくり「ほんがん(判官)さん」の愛称で親しみと尊敬をこめておまつりしています。 | |
住所 | 神戸市須磨区多井畑 |
那須神社 | |
1921(大正10)年ごろ、北向厄除八幡神社の境内に与市をまつる那須神社を勧請しています。 | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字岡 |
旧住友別邸門柱 | |
住友家第15代当主、住友友純が1893(明治26)年、海辺の約1300坪の土地に別荘を建て、須磨の別荘地開発の草分けとなりました。 1903(明治36)年には別荘の隣に洋館の別邸を新築しました。別邸は1945(昭和20)年の戦災で焼失し、跡地に須磨海浜公園が整備されました。 現在は、別邸の門柱のみが当時の面影を残します。 | |
住所 | 神戸市須磨区須磨浦通1丁目1 |
寿楼 臨水亭 | |
源平ゆかりの地に建つ、落ち着いた和の空間が魅力の旅館。ゆったりとした広さのある全室スイートタイプの客室は、池に面しており春には桜を観賞できます。中には夜景が見渡せる・家族みんなで寛げる・ペット同室宿泊OKなど、多彩なタイプの部屋も。須磨の夜空を眺めながら和風庭園露天風呂につかるひと時・・・ICからのアクセスも良く三宮観光にも便利です。 | |
電話番号 | 078-731-4351 |
住所 | 神戸市須磨区須磨寺町3丁目5-18 |
弘法の井戸 | |
妙法寺谷野にある、弘法の井戸です。夏のある暑い日、妙法寺村に立ち寄られた弘法大師が、村人に水を所望しましたが、妙法寺村には湧き水の出るようなところがなく、飲み水に困っていました。その話を聞いた弘法大師はたいへん心を痛めて、手にした杖でトントンと大地をついたところ、きれいな水が湧き出てきたと言われています。弘法の井戸の伝説は各地に点在して... | |
住所 | 神戸市須磨区妙法寺字谷野 |